「幸せ感」を味わいたいなら「自分を大切にする」意味を間違えてはいけない

幸せ感を味わって、人生を幸せ感で満たすなら、自分を大切にするという意味を間違えてはいけないなぁと思います。

「自分で」自分を大切にすることが大事なんですよね。ところが自分を大切にして欲しい気持ちを「他人に」押し付けると不幸の始まりです。

自分を大切にする意味を間違えて、他人に「大切にして大切にして大切にして」と求めるのはイヤイヤ期の幼児と同じです。

イヤイヤが可愛らしく愛おしく感じられるのは赤ちゃんとペットだけ。大人の人間がイヤイヤ言ったところで、相手にされませんよ。

自分の気持ちをわかってあげられるのは自分だけです。自分以外の他人に「私の気持ちを察しろ、理解しろ、労われ」が行き過ぎると傲慢です。家族でも他人です。「自分の気持ちを正確に理解して、応えて欲しい」と願うのは無理な話。

自分の「満たされなさ」を他人にどうにかしてもらおうとすると幸せ感を味わえません。だって他人は心の中までわからないのだから。例えば、今お腹が空いているのか、何が食べたいのか、眠たいのか、悲しいのかは本人にしかわからないし他人が代わってあげられません。自分で自分の感情に答えてあげることで、満たされます。自分を大切にするってことです。

ハッピーな未来って自分でできる幸せの積み重ねです。自分でできない幸せを期待をするから現実とのギャップに苦しくなる。努力したところで思い通りにならないこともあるのが当たり前なのに、努力もしないで欲しがってるから不満になる。自分でできるハッピーを見つけることが大切です。願望があるなら頑張ったらいいし、頑張れないなら今のまんまで満足できるようにならなくちゃね。

少し先のハッピーな未来へ向かって、今の困難を乗り越えようと頑張ったら、幸せ感に満ちた世界の住人になれる。「私の不幸を誰かなんとかして!」と他責思考だと幸せ感に満ちた世界へ到達するのは難しい。

あとこれだけは知っておいて欲しいのですが、同情では人は絶対に力になってくれません。自分の可哀相さをアピールしても、同情って人を動かすエネルギーではないんです。人は、同情よりも頑張ってる姿やリスペクトなど陽エネルギーを受けることで心を打たれて応援したくなるんです。