「愛されるよ・り・も〜、愛したいマ・ジ・でぇ〜」とKinKi Kidsの歌がありましたね(懐かしい)
「愛したい、愛されたい」以前、相談者さんから出た言葉です。
ふと、私は何を愛してるのかを考えてみました。
例えば若い頃の恋人は愛してたのか?違う気がする。もっと軽くてキャッキャしたもの。軽いけど楽しくてキラキラしてるような感じ。愛じゃないけど、大事な感情。
今私が愛してるのは、真っ先に浮かぶのが飼い猫。そして、配偶者。この二人だけ(猫飼いあるある、猫も一人と数えてしまう)
飼い猫の場合、家にきた日から愛してるは始まった。一瞬でそうなった気がする。愛そうと努力したわけではない。
一緒に暮らし始めて数ヶ月後、まだ子猫の時。誰もいない部屋で紙袋で遊んでいて持ち手が首にぐるぐる巻きになっていた。暴れてもがくほどきつく絡みつく。排泄物まみれ。興奮状態の猫。このままでは窒息する、と慌てて素手で猫を押さえつけ持ち手をハサミで切った。ハサミで猫を傷つけないように慎重に、でも急いで。猫に怪我なくて良かった…早く気づけてよかった…涙。私の手は噛まれて引っ掻かれて傷だらけ、流血。翌日病院で手当をしてもらい、抗生剤の飲み薬をもらった。1週間ほど手は包帯でぐるぐる巻き。そんなことがあっても大切な存在。(興奮状態の猫を触る際軍手や厚手の洋服などで自分の体を保護すべきでした)
配偶者に対しては猫に対するような手厚いケアや世話はしません。大人だから自分のことは自分でして当たり前ですし、よく言う「大きな子供」みたいなのはお断りです。もし猫のように噛みついたら(そんなことはない笑)DVで然るべき公的機関へ即相談します。とはいえ暮らしをともにする時間の経過とともに恋愛とは違うもっと深い繋がりを感じるんですよね。十数年かけて愛に育ってるような気がします。現在進行形で。
飼い猫と配偶者に共通するのは、特別なことはなんにもない、普通の日常にいて邪魔にならない存在です。空気みたいな感じ。必須だけど、意識してない、あるのが当たり前、みたいな。感情がフラットでリラックスしていられますね。
愛は異性だけではなくペット愛や家族愛もある。愛の対象は人それぞれですが、素で自然体な時の自分にとって大事なもの、かけがえのないものです。寂しい時だけほしいのは愛ではない。愛したい、愛されたい、は強く願って叶うようなものではない気がしました。これは私の感想であり、愛とはこれだ!と正解を言ってるつもりは一切ありません。