とあるイベントで鑑定した時のこと。お隣のブースは消しゴムはんこの作家さんだった。鑑定が途切れた際、お隣を見ると、聡明そうなお母様と小学校低学年と幼稚園児くらいの兄弟が消しゴムはんこの作家さんと、こんなやりとりしていた。
・お母様「洗濯物をしまう際、子供たちの肌着が見分けがつかなくなって大変。はんこを押して見分けをつけられるようにしたいと思って・・・子供の名前を入れてもらえますか?」
・作家さん「できますよ〜・・・・(商品説明等)」
・お母様「〇〇くん、君の肌着にこのスタンプ押していい?お母さん見分けるの大変なの、スタンプを押してすぐわかるようにしたいの」
・〇〇君「(夢中にはんこの柄を選びながら、黙ってうなづく)」
・お母様「□□くん、君の肌着にこのスタンプ押していい?お母さん見分けるの大変なの」
・□□君「いーよ」
私の目の前でおきた、小さな可愛いやりとりを眺めながら、例え自分の子供たちとはいえ、相手の持ち物に何かをするのだから持ち主の許可をとることを、まだ幼い子供相手にできるって素敵やなぁ、と思った。
話は変わって、人間関係のトラブルの渦中の方がよく言われるのが
「私だったらこうするのに、相手はこうしない」
「私ならこう考えるのに、相手がおかしい」
全て、私・私・私。自分中心で考えた結果出てくる言葉。
私以外は私ではない。あなた以外の人は、あなたではない。
あなたにとって平気なことでも、相手は嫌なことかもしれない。あなたの考えとは違うから、相手はあなたの思い通りには動かない。
相手が子供だから、親だから、お店の人だから、年下だから、無遠慮で不躾なことを言っても大丈夫だと勘違いしている人がいる。自分の思い通りに動かないことに腹を立てる人がいる。
相手は自分と同じ考えではない。自分はよくても、相手は嫌かもしれない。
だから、「私以外は全員、私ではない」と受け入れてみては、いかがでしょうか。